MENU

本当に新人!?プロ野球一年目の成績が凄かった伝説選手9選

本当に新人!?プロ野球一年目の成績が凄かった伝説選手9選

プロ野球の新人選手。将来を見据えて大事に育てられたり、一年目から活躍し新人王を取ったり、今後の成長にファンや首脳陣は期待します。新人選手のお陰でプロ野球 ベットの盛り上がりも後押ししてくれます。

そんな新人選手の中には、一年目からけた外れの成績を残し、プロ野球史の伝説になった選手もいます。今回はそんな一年目の成績が凄かったプロ野球の伝説選手をご紹介します。

目次

プロ野球一年目の成績が凄かった伝説選手9名!

それではプロ野球一年目の成績が凄かった伝説選手を見ていきましょう。

宅和本司(南海) 60269敗 防158

1954年に南海ホークスに入団した宅和本司選手はノムさんこと野村克也さんと同期です。バッテリーを組んだ野村選手とは寮が同部屋で、野球について語り合っていたこともあったそう。

一年目に驚異的な成績を残し、最多勝、最優秀防御率を獲得。同じく高卒で後に名球会入りもした阪急の梶本隆夫選手も20勝を挙げながら新人王を取れなかったという逸話が残されています。

1955年も24勝を挙げ最多勝を獲得しますが、翌年以降ケガなどで成績が急降下。わずか8年で引退することになります。

たったの2年で50勝を挙げた驚異的な活躍と、その後の急速な衰えが逆に印象的で、プロ野球の伝説としてファンの記憶に刻まれました。

稲尾和久(西鉄) 61216敗 防106

「鉄腕」で知られる稲尾和久選手も一年目の成績が凄かったプロ野球の伝説選手です。入団当初は打撃投手だったという話もありますが、そこで西鉄の強打者相手に投球術を磨いたと言われています。

一年目の成績も凄かったですが、その後シーズン42勝や「神様、仏様、稲尾様」の1958年日本シリーズなど、今でも様々な記録が語り継がれるプロ野球の伝説の選手です。

長嶋茂雄(巨人) 1302992点 打率.305

ミスターこと長嶋茂雄選手も一年目から驚異的な成績を残しました。1958年の開幕戦、デビュー戦で国鉄の金田正一投手に4打席4三振に抑えられて始まったプロ生活ですが、最終的には本塁打王と打点王の二冠に輝きます。

その後ミスタープロ野球と言われる活躍は世代を超えて語り継がれています。プロ野球の伝説選手と呼ぶのに、まさにふさわしいと言うことができるでしょう。

権藤博(中日) 693519敗 防170

名コーチとしても名高い権藤博選手の一年目も、驚異的な成績を残したプロ野球の伝説選手です。勝敗数もさることながら、先発44試合、32完投という今では考えられない数字を残しています。

連投に連投を重ね「権藤、権藤、雨、権藤」という言葉も生まれたほどの酷使をされ、3年目以降は成績も落ちてしまいます。このことはプロ野球の投手分業制に大きな影響を与えたとも言われています。

コーチ時代や横浜ベイスターズ優勝時の監督としても、この時の経験が生かされているのでしょうね。

尾崎行雄(東映) 49209敗 防242

尾崎行雄選手は「史上最も速い球を投げた」とも言われるプロ野球の伝説選手です。ドラフト制度以前に17歳で高校を中退しプロ野球入り、前半戦だけで18勝を挙げ史上最年少でオールスターゲームに出場しました。

1965年には最多勝、入団からわずか5年で98勝も挙げましたが6年目以降は肩を痛めて活躍することはできませんでした。現代のスピードガンがあったら果たして何キロの球速を記録したのかも気になります。

木田勇(日本ハム) 402284S 防228

木田勇選手は「入団交渉で住宅を要求した」とも言われているプロ野球の伝説選手です。一年目4月から月間MVPに選ばれるほどの活躍をし、最終的には22勝を挙げ新人王だけでなく最多勝や最優秀防御率、MVPも獲得しています。

しかし一年目の疲労や他球団の研究、一躍時の人になった(紅白の審査員にも選ばれた)ことでの調整不足により、二年目以降は一気に成績が下降してしまいます。それでも一年目に残した成績は伝説と言っても過言ではないでしょう。

清原和博(西武) 1263171点 打率.304

数々の記録を持つ清原和博選手も一年目の成績が凄かったです。希望していた巨人に入れず涙のドラフトとして話題になりましたが、高校時代の活躍そのままに330本塁打。31本塁打という数字はプロ野球一年目の最多記録タイ(高卒に限れば単独)です。

三冠タイトルにこそ縁がなく「無冠の帝王」と呼ばれることもありますが、通算525本塁打などの記録を持つ清原選手はプロ野球の伝説選手と呼ぶことができるでしょう。

野茂英雄(近鉄) 29188敗 防291

日米でトルネード旋風を巻き起こした野茂英雄選手も一年目の成績が凄かったプロ野球の伝説選手です。一年目から投手四冠に加えMVP、沢村賞、ベストナインも獲得しました。

日本人メジャーリーガーのパイオニアとして知られる野茂選手はメジャー一年目にも最多奪三振と新人王を獲得。日本のプロ野球のみならず、メジャーでも伝説選手と言えるのではないでしょうか。

伊藤智仁(ヤクルト) 1472敗 防091

最後に伊藤智仁選手を紹介します。驚異的な防御率ですが勝敗や試合数が他の選手より少ないです。これは前半戦だけで記録した成績のためです。

速球と高速スライダーを武器に活躍しましたが、一年目途中で戦線離脱。その後も故障に悩まされ続ける選手生活となってしまいました。

「もし故障がなかったらどんな成績を残していただろう」そう思わせてくれるプロ野球の伝説選手です。

まとめ

今回は一年目の成績が凄かったプロ野球の伝説選手をご紹介しました。昭和の時代にはとんでもない数字が並んでいましたが、そこまでいかないとしても今後また「伝説的な成績」を残す選手が現れるかも知れないですね。

今度はどんな怪物新人選手が誕生するのか。楽しみにしましょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次